「ほどほどで十分な量」という考え方

年末の大掃除で家の中がきれいになったものの、新年が始まってそろそろ半月、少しずつだが家の中に物が増え、元に戻りつつあるような気がする。

 

 

よい機会なので、切り抜いてずっと手帳に貼っていたメモの内容について転記しておこうと思う。デジタル化が進み、最近は手帳を観る機会も減ってきた。こちらに転記しておけば、再びよく目に留まるようになるはずだ。(これを以て、紙を廃棄するわけでは無い。)

 

 

以下の内容は、全て、アウトドアブランド Patagonia のカタログに掲載されていた内容だ。いつの物であるかは忘れた。今の手帳は2008年から使っているものなので、おそらく10年ほど前の物だろう。とても印象に残っていたので、その部分だけ切り抜いて手帳に貼っていたものだ。

ここに書かれているのは全くもってあたりまえの内容なのだが、以前には「幸せとは、たくさんの物に囲まれていること」というような風潮があって、その反動として未だに「断捨離」が流行っているのかなと思ったりもする。

そんなことを言っている自分自身でさえも、「セール」という言葉を聞くと少し心のどこかが躍ってしまうのだが・・・。

 

 

必要としていないシャツであれば、買わないでおくということ

 by イヴォン・シュイナード & ノラ・ギャラガー

出典:Patagonia カタログ (時期不明)

 

 

豊かな経済では「ほどほどで十分な量」というものがあります。多からず、少なからず、ちょど適度な量。

出典:Patagonia カタログ (時期不明)

 

 

 西海岸沿いに住んでいた他の部族も、同様の生活を営んでいました。カナダ北西部のキタマットに住むハイスラ族の元酋長であったジェラルド・エイモス氏は、父親の友人のことを今も回顧します。その友人はまだ夜が明けないうちに、海岸沿いの罠を仕掛けた道まで6キロ以上もボートを漕いで行き、一日中その道を歩き、罠をチェックしたり、しかけ直したりしていたのです。「晩秋から初冬までの間なら、ボートに戻る途中に渡る小川にはまだ、コーホー・サーモンが泳いでいました。小川のひとつで立ち止まってサーモンを捕り、きれいに洗ってバックパックに入れ、動物が罠に掛かっていたらそれと一緒に家に持って帰りました。そんな日の夕食はサーモンでしたよ。」

 

 このような生活は「自給自足」と呼ばれます。この言葉は必要最小限の生活とか、必死に働くことによって暮らせる生活、という意味に取られがちですが、まったく違う観点での意味も存在します。パタゴニアでは「豊かな経済」という呼び方をしています。豊かな経済では「ほどほどで十分な量」というものがあります。多からず、少なからず、ちょうど適度な量。そして、本当に大切なことをするのに十分な時間がある、ということがポイントです。人と人との関係やおいしい食事、芸術、ゲーム、休息などを楽しむ時間です。

 

 米国に住む私たちの多くは、周囲に何でもそろっている、豊かであるはずの環境の中で生活をしていますが、その豊かさは幻想にすぎません。私たちが生きる経済は「不十分」という言葉のほうがぴったりです。かつて、景気のいい会社の経営者にお金が十分あるかと聞いたことがあります。「分かってないねえ。お金というのはいくらあっても足りないものなんだ」というのがその人の返事でした。

 

 私たちには十分なお金も、十分な時間もありません。エネルギーも足りなければ、静かな時間も安らぎも足りません。米国は世界で有数の豊かな国であるにもかかわらず、生活の質では世界で14位と言われています。20世紀中ごろの哲学者エリック・ホッファーは「いくらあっても足りないものは、あなたを幸せにするためにそれほど必要ではないものだ」と語りました。

 

 幸せになるために、私たちは必要のない物を手に入れようとますます懸命に働き、しかも同時に自然界を荒廃させているのです。作家でありマサチューセッツ工科大学講師であるピーター・センゲ博士は次のように言っています。「我々は夢遊病患者のように、誰も望まない最悪の事態に向かってどんどん加速を続けている。」

 

 私たちが済むこの経済社会は、「欠乏の経済」とでも呼べばいいでしょうか。しかし、「豊かな経済」はかつてのチュマシュ族と共に完全に消えてしまったと思ってしまわれないよう、ヨーロッパについて考えてみましょう。ヨーロッパの人々は今でも出来のよい服を数枚買い、それを長年にわたって愛用します。家やアパートも米国のものより小さく、公共の交通機関、小型で効率の良い家電製品や車を利用しています。それでも生活の質はアメリカのそれより25%も高いのです。(アメリカはヨーロッパより75%も多くのものを消費しているにもかかわらずです)。一方ヒマラヤのブータン王国では、国王が「国民総幸福量」を調査するよう求めています。

 

 どんな人でも、どんな国でも、どんどん太り、金持ちになり、最悪の事態に向かって無意識に歩き続ける可能性はあります。しかし、スリムで機敏で、美しさと時間に満ち、私たちの祖先に刺激を与えた「充分な幸福」という言葉のままでいることもできるのです。 

出典:Patagonia カタログ (時期不明)

 

この後しばらく進むと「Patagoniaが取り組む環境キャンペーン」の話等が出てくることになるのだが、カタログなので、まぁそれはそれということで。

 

 

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